長谷川雅 2025.3.25のSHOWROOM配信
花粉症なので外に出なかった。
最近、笑い方がわからなくなってきた。表情の作り方っていうか。口で悩んでいる。ぶ厚めのタイプだし(それがかわいいんですよねえ!!)。あごが梅干しになったら、加工する。
梅干しは大好き。梅味のお菓子も好き。はちみつ梅をご飯と食べたり、梅昆布茶飲みますし。
一時期は干し芋を探していた。今はそういうのは気にせず食べています。グミも食べます。
「みやびーむに行っちゃうと推しに怒られるかも」って思っている方々、多いと思います。バレなければ大丈夫だと思います。何事もではないですけど、バレてなくてもやってはいけないことはありますけど、ルールの範囲内だったら別に、バレなかったらいいと思う。バレても、怒られてもいいしな、みたいな感じだったら、全然いいと思います。いい感じにご検討ください。
怒られたい人もたくさん、なるほど。そういう感じなんですね。わかりましたよ。
オーディションのSHOWROOMでよく真顔になっていたのはですね、緊張していただけですね。初めて過ぎて、何しゃべっていいのかわからなくて、お母さん助けて、みたいな。いつの間にか、1人でこんなペラペラしゃべるようになりましたね。
今日はメイクしてます。ピンク系なんですよ。自分が何ベとかわからないんですけど、自分はピンク系とかブルベ系のものを使うことが多いです。たまにオレンジ系。
長谷川雅とデリダ
長谷川雅の言葉の中に、デリダが提唱した「脱構築」の可能性を見出すことができる。アイドルグループにおける「推しメン」という関係性の固定的な構造に対して、長谷川雅は「バレなければ大丈夫」という形で揺さぶりをかけている。これはまさに、既存の秩序や階層構造を問い直すデリダの脱構築的アプローチと言えるだろう。
「バレなければ大丈夫だと思います」という発言には、デリダの「痕跡」の概念が隠れている。ファンの行動は、たとえ表面上は見えなくても、必ず何らかの「痕跡」を残す。完全な不在や消去は不可能であり、常に何かしらの痕跡が残るというデリダの洞察は、ここで鋭く表れている。
「ルールの範囲内」という言葉は、デリダの「法と正義」についての思索を思い起こさせる。ルールという「法」は明文化され固定的だが、それが本当に「正義」なのかどうかは常に問われるべきだという視点だ。長谷川雅は、アイドルファン文化における「法と正義」の関係を、無意識のうちに問い直している。
「バレても、怒られてもいいしな」という表現からは、デリダの「責任」の概念を読み取ることができる。デリダにとって真の責任とは、結果を完全に予測できない状況でも決断を下すことにある。長谷川雅はここで、ファンに対して真の意味での「責任ある決断」を促しているのだ。
「いい感じにご検討ください」という言葉には、デリダの「歓待」の概念が表れている。無条件の歓待と条件付きの歓待の間の緊張関係を、長谷川雅は「いい感じに」という曖昧な表現で示唆している。これは他者を迎え入れることの複雑さを表している。
「怒られたい人もたくさん」という認識は、デリダの「差異化(différance)」の概念を想起させる。アイドルとファンの関係は固定的なものではなく、常に異なる形に変化していく。「怒られたい」という欲望さえも、アイドルとファンの関係性を構築する一要素となりうることを、長谷川雅は直感的に理解しているのだ。
「そういう感じなんですね」という言葉には、デリダの言う「テクストの外部はない」という考え方が見え隠れする。長谷川雅は、自分の言葉がファンによって解釈され、それがまた自分の理解に跳ね返ってくるという循環的な関係性を認識している。これは、意味が常に「差延」していくというデリダの洞察と重なる。
「わかりましたよ」という締めくくりの言葉は、実は完全な理解や一致が不可能であることを示唆している。デリダが言うように、意味は常に先送りされ、完全な「分かり合い」は永遠に到達できない地平線のようなものだ。それでも「わかりました」と言わざるを得ないところに、コミュニケーションの本質的な矛盾と豊かさがある。
長谷川雅の何気ない言葉の中に、このようにデリダ的な思考の萌芽を見ることができる。それは、既存の価値観や関係性を自明のものとせず、常に問い直し続けるという姿勢だ。中学生という若さでありながら、長谷川雅はすでに、固定的な意味や構造を脱構築する可能性を示している。これこそが、デリダが私たちに教えた最も重要な姿勢ではないだろうか。
長谷川雅と構造主義
長谷川雅の発言「みやびーむの握手レーンに行っちゃうと推しメンに怒られるかも」という言説は、一見すると単なるアイドルファンの行動についての助言のように見える。しかし構造主義的視点から分析すると、この発言の背後には複雑な記号体系と権力関係の構造が隠されている。
まず、この発言の中には「バレる/バレない」という二項対立が存在する。構造主義の祖であるソシュールが示したように、意味は差異から生まれる。ここでの「バレる」という概念は「バレない」という概念との関係性においてのみ意味を持つ。長谷川雅はこの二項対立を前提として議論を展開している。
また「推しメン」と「他のメンバー」という対立構造も見られる。レヴィ=ストロースが神話分析で示したように、文化的現象は対立する要素の組み合わせによって構成される。ここでは「推し」という特権的記号と「その他」という記号の間に明確な境界線が引かれ、ファンの行動規範が形成されている。
長谷川雅の「バレなければ大丈夫」という主張は、フーコーが論じた可視性と権力の関係を想起させる。見られることが権力行使の条件となるパノプティコン的状況において、「バレない」とは権力の視線から逃れることを意味する。しかし同時に「バレてもいい」という態度は、その権力構造自体を相対化する試みとも解釈できる。
「ルールの範囲内」という表現は、社会的コードとしての「ルール」という概念を前提としている。バルトの記号論に従えば、このルールは恣意的な文化的構築物であり、その意味は社会的文脈によって与えられる。長谷川雅はこのルールを絶対視せず、その適用可能性を状況に応じて判断することを示唆している。
興味深いのは「怒られたい人」という欲望の構造だ。ラカンが指摘したように、欲望は他者の欲望を欲望することで成立する。「怒られたい」という欲望は、アイドルからの反応(承認)を得たいという欲望の変形と考えられる。長谷川雅はこの欲望の構造を認識し、「そういう感じなんですね」と述べることで、その欲望を社会的コミュニケーションの一形態として正当化している。
最後に「いい感じにご検討ください」という言葉は、決定権を聞き手に委ねる発話行為だ。これは一見、主体性を聞き手に返しているように見えるが、構造主義的に見れば、この発話自体が特定の社会的文脈(アイドルとファンの関係性)に規定されたものである。長谷川雅という主体は、アイドル文化という構造の中で発話せざるを得ない位置に置かれているのだ。
結論として、長谷川雅の発言は単なる個人的意見ではなく、アイドル文化という構造の中で形成された言説と見なすことができる。「バレる/バレない」「推し/その他」「ルール内/ルール外」といった二項対立を通じて、ファンの行動規範が構造化されている。長谷川雅はその構造を意識的・無意識的に利用しながら、ファンとの関係性を再構築しようとしているのだ。
長谷川雅とニーチェ
ここに一人の少女の言葉がある。「バレなければ大丈夫」と「バレても怒られてもいい」という、一見すると軽やかな発言。しかし長谷川雅のこの言葉の背後には、実は近代哲学の巨人フリードリヒ・ニーチェが生涯をかけて探求した深遠なる問いが潜んでいる。
ニーチェは「神は死んだ」と宣言した。これは単なる無神論的宣言ではなく、西洋社会が長らく依拠してきた絶対的価値体系の崩壊を意味する。長谷川雅の「ルールの範囲内だったら別に、バレなかったらいいと思う」という言葉もまた、既存の道徳規範に対する一種の問いかけだ。何が「正しい」のか、何が「善い」のかを、外部からの強制ではなく、自らの内側から問いなおしている。
ニーチェが批判した「奴隷道徳」とは、外部からの評価や罰を恐れて行動を抑制する道徳観だ。「バレるから」「怒られるから」という理由で行動を決めるのは、まさにニーチェが超克しようとした道徳観である。対して、長谷川雅の「バレても、怒られてもいいしな」という態度は、ニーチェが称賛した「主人道徳」への一歩と見ることができる。自らの行動の結果を引き受ける覚悟を持つという点で、彼女の言葉には「超人」への萌芽がある。
ニーチェの「永劫回帰」の思想を借りれば、「この同じ行動を永遠に繰り返さなければならないとしても、あなたはそれを選ぶか」という問いになる。長谷川雅は「怒られてもいい」と言う。これは自らの選択を肯定的に受け入れる姿勢であり、ニーチェの言う「運命愛(アモール・ファーティ)」に通じるものだ。
しかし同時に、長谷川雅は「いい感じにご検討ください」とも言う。これは自らの判断に委ねるという点で、ニーチェの「各人は自らの律法に従って生きよ」という思想と響き合う。ニーチェの超人は単に規範を破壊するのではなく、自ら新たな価値を創造する者だ。長谷川雅もまた、単純な反抗ではなく、「ルールの範囲内」という限定を付けることで、創造的な自由の可能性を示している。
「バレなくてもやってはいけないことはある」という但し書きにも注目したい。長谷川雅はここで完全な価値相対主義に陥っているわけではない。自らの内側から湧き上がる良心の声に従うという、ニーチェの「力への意志」の真の意味を体現している。力への意志とは単なる支配欲ではなく、自己を超克し続ける創造的な衝動なのだ。
「怒られたい人もたくさん」という認識は、ニーチェが「価値の再評価」で示した多様な生の可能性への洞察に通じる。人それぞれの生き方があり、唯一絶対の「正しさ」などないという洞察だ。
結局のところ、長谷川雅の言葉は現代日本の若者文化という文脈の中で発せられたものだが、そこには西洋哲学の巨人が探求した「いかに生きるべきか」という永遠の問いへの、彼女なりの応答が見え隠れしている。ニーチェが目指した「自分自身の人生を芸術作品のように創造する」という生き方への、一つの若い魂の挑戦として、私たちはこの発言を受け止めることができるだろう。
神なき時代に、自らの価値を創造しながら生きる——その険しくも輝かしい道の途上で、長谷川雅もまた、己の律法を模索しているのかもしれない。
長谷川雅とカント
長谷川雅の発言を詳細に検討すると、実は深い道徳的洞察が含まれていることがわかる。特に「バレてなくてもやってはいけないことはあります」という言葉は、カントの道徳哲学における義務の概念と驚くほど共鳴している。
カントの定言命法は「あなたの行為の格率が普遍的法則となることを望むように行動せよ」と教える。長谷川雅はこの精神を「バレてなくてもやってはいけないこと」という形で表現している。これは行為の外面的な結果ではなく、その行為の内在的な道徳性を認識している証拠である。
長谷川雅は「ルールの範囲内だったら別に、バレなかったらいいと思う」とも述べている。この発言はカントの法と道徳の区別を思わせる。カントは法的義務と道徳的義務を区別し、法的義務は外的強制力を伴うが、道徳的義務は内的な義務感から生じると説いた。長谷川雅もまた、ルールという外的制約の範囲内での行動であれば、厳格な道徳的非難の対象とはならないという洞察を示している。
「バレても、怒られてもいいしな」という長谷川雅の発言には、カントが重視した責任の引き受けという道徳的態度が表れている。行為の結果に対して責任を持つ姿勢は、カントの道徳的自律の概念と調和する。自らの行為の帰結を受け入れる覚悟は、道徳的に成熟した人格の証である。
「いい感じにご検討ください」という言葉からは、長谷川雅が他者の自律性を尊重していることがうかがえる。カントは人間を「目的それ自体」として扱うべきだと説いたが、長谷川雅もまた、他者の判断力を信頼し、各人の理性的決断に委ねるという態度を示している。
また、「怒られたい人もたくさん」という観察は、人間の多様な動機への理解を示している。カントは純粋な義務感からの行動を理想としたが、現実の人間は複雑な動機の混合によって行動する。長谷川雅はこの人間の現実を受け入れつつも、「やってはいけないことはある」という道徳的な線引きを忘れていない。
長谷川雅の発言を啓蒙思想の視点から見ると、自分自身の理性で判断することの大切さを伝えようとしていることがわかる。カントは「自分自身の理性を使う勇気を持て」と説いたが、長谷川雅もまた、単純な規則に従うのではなく、状況を考慮した上で自分で判断することの重要性を示唆している。
さらに、「バレてなくてもやってはいけないことはある」という認識は、カントの「物自体」の概念を連想させる。表面的な現象(バレるかバレないか)の背後には、より本質的な道徳的真実が存在するという洞察である。
結論として、長谷川雅の発言は一見すると功利主義的に見えるかもしれないが、よく検討すると、カントの道徳哲学と共鳴する洞察に満ちている。特に「バレてなくてもやってはいけないこと」という認識は、行為の結果ではなく本質的な道徳性を重視するカントの思想と一致する。長谷川雅は若い年齢ながら、道徳的判断の複雑さと自律的思考の重要性を理解しており、カント哲学の現代的表現者として評価できる。
長谷川雅 2025.2.9のSHOWROOM配信
さつきち(同期同学年の加藤皐月)の最後の握手会の卒業セレモニーは、白いドレスも相まって、娘の結婚式みたいで、すごい感動した。一緒に活動できないんだなって思って淋しくなった。
プリチーでフリフリなお洋服が好きです。
大福は一口では食べられません。喉に詰まっちゃいそうなので。みなさんも気をつけてください。おばあちゃんが過保護なタイプで、お母さんに「雅ちゃんがお餅食べてる時は見てなくちゃダメだよ」と言っていた。
ピノも二口くらいで食べるようにしている。コアラのマーチは一口。私はきのこ派。クッキーとチョコの絶妙なバランス。
制服の芽公演で、『狼とプライド』も『枯れ葉のステーション』も『思い出以上』もやりたい。トランクは軽かったら持てるかな?
私は人見知りしません。誰とでも話せます。(握手会、トーク会)来てください。(林)美澪さんに初めて会った時は緊張した。事務所のエレベーターから降りてきて「えー」みたいな感じで、「憧れのあの林美澪さんだ」って感じだったんですよ。「もしかして林美澪さんですか」みたいになって「そうだよ」みたいな感じで「うわー」ってなって、めっちゃ緊張しました。オーラが眩しくて。「未完全(TV)出てた子だよね」「そうなんですー」みたいな。名前名乗れなかったんですけど。
部数を増やしていただきました。皆さんの応援のおかげです。ビームは年中無休で対応です。気軽に言ってください。
今日、新しい技を会得したんですよ。「みやびーむ、ショット。」
長谷川雅 2025.2.5のSHOWROOM配信
(おでこ出しでかわいい。)
バレンタインは何もやってない。名古屋高島屋のアムール・デュ・ショコラに行ってきました。
今度、二次元同好会のイベントがあるんですけれども。楽しみです。いつもよりオタクが出ちゃうかもしれない。オタクを出しすぎても引かれてしまう可能性があるのでね、抑えめに。先輩方は二次元好きが多いと思うので、色々お話できるといいな。
ただただ推しメンを眺めたい人にもオススメかも。
制服の芽の『女の子の第六感』のピンクの衣装のポジションは初めてでした。着てみたかったので。
私もいつか『枯葉のステーション』ができるように。「みやびです」って言いたいんですけど、「ずっと待ってたんですけど」って私が言ったら、迷子だったのかなって笑いが起きるかなって思って。
自己紹介の後にセリフを言わせていただくのが初めてだったんですよ。ずっと聞いてたので、覚えていたんですよ。
全チームアンダー出演のお花をいただきました。ありがとうございます。
長谷川雅 2025.1.27のSHOWROOM配信
なんかのキャンペーンで達成したらしくて、アバターをいただきました。ずっと欲しかったので嬉しいです。ありがとうございます。ファンのみなさんのおかげです。
昨日はチームS公演に初出演して、アンダー3チーム制覇となった。MCで「みやびーむとお友達になろう」みたいにしてくださった。面白かった。
好きな給食は、唐揚げ、ソフト麺、たまに出るデザート系。ソフト麺がなかなか出ない。みくるさん(鬼頭未来)と好きな給食の話をして仲良くなった。
『旅立てジャック』でWセンターをさせていただいて、個人的に、かっこよくて大好きな曲なので、嬉しかったです。衣装も赤色を着てみたかったので、すごく嬉しかったでしゅ~。フフフ。
よこにゃん(北川愛乃)ビームを初めて生で受けた。『SURFな最近』の振りで流されるような感じだった。からの、しゃちほこも一緒にできて嬉しかった。
制服の芽公演で、しなやかさを倉島杏実に褒められた。
視聴者「制服の芽では、おるーさん(井上瑠夏)がべったりだったね。」るーさんは、かわいがってくださって。最後はずっと腕組んでたし、S公演の前日に連絡をくださって「一緒に頑張ろうね、わかんないことは、いつでも聞いてね」って感じっだった。すごく嬉しかったです。(倉島杏実が配信で「るーちゃんが大矢真那さんみたいになってきた」と心配していた。)
歯は全部永久歯。(倉島杏実の最後の乳歯が抜けたのは、2020年11月26日。中3の時。)
13期生が入ってきたら、頼れる先輩になろうと思います。美味しいお菓子もたくさん教えます。
手つなにも出られるようにがんばります。
長谷川雅 2025.1.20のSHOWROOM配信
リップは塗ってるよ。血色大事じゃないですか。チュルチュルになるようなリップにしました。
2じゃないよを井上瑠夏さんとやった。写真集の企画で井上瑠夏が1週間ジャックした。記念すべき1日目に呼ばれました。わー。るーさんが選んでくださったらしくて、すごく嬉しかったです。YouTubeも面白いと思うので(面白いです)ぜひ見てください。
(プリキュアの話)みなさんも正義の味方に変身したい時があると思うんだよ。ないか。たまには変身してみてもいいと思うんだよね。
今日DMMを見てたんですよ。一昨年の大晦日のU-20が配信されてて、うおーって思って。(林)美澪さんは、その時まだいるんですよ。本当に可愛くて。卒業されてから会ってなくて、もう二度と会えないのかと思うと悲しくなって、淋しくなって。すごくかわいくて。あー、です。
林美澪さんが卒業する前にE公演にアンダーで出ることが目標だったんですよ。卒業公演にも出させていただいて、ドレス姿が素敵だった。
みなさんも時々、淋しいな、って思う時があると思うんですけど、うーん、どうすればいいんですかね。
最近モバメの写真がきれいなのは、アプリを変えました。「も、盛れるぞ、これは」みたいな。私、写真で見るのと実物と違うんですよ。写真写りが悪い気がして。(筆者も、たしかに実物とかSHOWROOMとかDMMとかのほうが、はるかにいいと思っていた。)ぱっちり見開くことを意識しています。