【SKE48】AKBグループセンター試験:知識偏重の弊害とSKEメンバーの結果

センター試験:知識偏重の試験の弊害

 2018年3月10日にAKBグループセンター試験が行われる。例題はこんな感じらしい。

 大学入試センター試験の日本史あたりでありがちな、固有名詞のまる覚え、出来事の順番の並べ替えなどが多そうだ。

 そもそも、歴史学とは史料について評価、解釈などの過程を経て過去の事実を知ろうというものである。評価、解釈などの過程を経る以上、結論はただ1つには定まらないはずである。たとえば、太平洋戦争の開戦は悪いのは日本か、アメリカか、などなど。
 また、史料に書かれていることが真実かどうかもわからないし、史料に残らなかった事実もあるだろう。
 参考までに、東大入試の日本史は、資料を与えて、そこから読み取れることを論述させる設問が多い。

 それなのに、大半の小中高の歴史の授業と大学入試は、固有名詞と年代の暗記に終始してしまっているのではないだろうか。
 たとえば、先述の太平洋戦争の例では、先生が史料を与えて、生徒にディベートをさせてもいいだろう。
 そういう授業ができる歴史の先生がどれだけいるかは疑問だし、成績評価も難しいだろうが。

SKE界隈に現出する知識偏重の弊害

 さて、SKE48では、2月23日に行われた、松井珠理奈と須田亜香里が登場した豆腐プロレスのメインマッチで、珠理奈組が負けたこと(本物のプロレスも、だいたいこうで、再戦で松井珠理奈が勝つシナリオだったのだろうが、6月の総選挙後、松井珠理奈が休養に入ったこともあってだろう、再戦は行われなかった。)、また、3月2日からメンバーが変わる青春ガールズ公演について、様々な言説が飛び交っている。
 どちらも、ほんの断片的な情報を元に、ただ自分が正しいと思っているというだけの理由で様々な言説が飛び交っている。

 この現象は、先述のように、小中高の歴史教育、また、大学入試センター試験や大半の入試の知識偏重の歴史のテストの弊害が現れている一場面のように思うのだが、どうだろう。

(ただし、大学入試センター試験の現代文は、問題文に書いていないことを勝手に想像を膨らませてでっち上げる人は、他の選択肢に引っかかるように できてはいますが(笑)。)

追記:SKEメンバーのセンター試験結果

8位:荒井優希 119点
荒井優希がAKBグループに詳しいという印象はない。ただ、本人曰く、Wikipedia(エケペディアかな?)を見ていたら、できてしまったそうである。荒井優希は、京都で中学受験をして、中高一貫校に通っていたと語っている。SKEでの活動でも、賢いところを見せていると思う。

14位:都築里佳 114点
都築里佳は、SKEのゼロポジの企画でも、学芸大附属高出身の惣田紗莉渚と競り合って、インテリゼロポジを獲得した知性派である。また、オタクであり、AKBグループにも、ある程度詳しいのだろう。また、2010年加入の古参である。

22位:片岡成美 109点
片岡成美は、加入前からのSKEオタクで、阿比留李帆推しだった。AKBグループ全体についても、ある程度詳しいのだろう。同期の浅井裕華は「7期の中で、これどういう経緯でこうなったんだっけ、という話になると、なるぴーだけが覚えている」と語ったことがある。それはオタクだからだよ。DMMの劇場公演実況企画で、SKE内で1順位上の都築里佳の立ち位置を解説し続けたのは伝説であろう。

22位:中野愛理 109点
中野愛理は、ドラフト3期生として指名されたのが1月21日なので、それから40日後ほどにAKBセンター試験を受けたことになる。中野愛理は、もともとアイドルが好きで、SKEは6期生から受けている。SKEでは日高優月推しである。AKBグループ全体についても、ある程度詳しかったのだろう。

39位:斉藤真木子 100点
日頃の振る舞いからは、意外な高順位に思えるが、実は、斉藤真木子はSKEアイドル研究会の会員番号2番である。そうは見えないが、アイドルが好きなのであろう。また、2009年加入の古参である。2023年7月現在、斉藤真木子より在籍日数が長いのは、柏木由紀(2位、135点、アイドルオタク)だけである。

57位:江籠裕奈 93点
江籠裕奈は、加入前は渡辺麻友が好きだったらしい。むしろ、AKB全体について、ある程度詳しかったのだろう。また、近年はアイドルオタクぶりを全面に出してきている。「みなさんと同じですよ。メイキング映像とか好き。」などと語っている。2011年加入の古参で、メンバーながら、オタク的目線から、色々なイベントのことを覚えていての、上位ランクインだったのではないか。

59位:井上瑠夏 92点
井上瑠夏も、加入前からAKBグループが好きだったそうだ。2014年にチーム8熊本、2015年にドラフト2期最終候補(HKT志望)を経て、2016年にSKEに加入している。SKEの中で、珍しい正統派アイドルとして期待しよう。

59位:竹内彩姫 92点
特にアイドルに詳しい印象はなく、意外である。一方、現役時から、欠かさず毎月ブログを100本投稿していたり、2021年5月の卒業後に、SKEの運営会社であるゼスト社に就職して、事務的にも優秀そうなところを見せていたり、基本的に、ちゃんとしている人なのだろう。

66位:野村実代 91点
経歴は、ドラフト2期指名漏れからのSKE8期で、1ランク上の井上瑠夏と似ており、「みよまるーちゃん」というコンビ名を持つ。「るーは俺の嫁」と言っている。特に、アイドルに詳しいという印象はなく、アイドル好きの江籠裕奈、井上瑠夏に肉薄したのは意外な印象である。もしかしたら、ドラフト2期指名漏れをきっかけに、AKBグループについて研究した、というようなことは、あったかもしれない。

72位:松井珠理奈 90点
意外に低かったな、という印象である。学業は優秀だったそうだが、基本的に、アイドルにあまり興味がないのだろう。「自分はアイドルだと思ったことはない」と語ったことがある。(アスリートだと思っているらしい。)

80位:森平莉子 89点
当時、8期研究生で、研究生のまま2018年9月に卒業。その後、他のアイドルグループに加入し、須田亜香里のラジオにも出演したことがある。小3からAKBグループが好きで、AKBグループのオーディションを9回不合格になったらしい。

80位:大場美奈 89点
彼女は2009年加入のAKB9期だが、AKB4期から受けてるらしい。そのような関係で、AKBに詳しかったのかもしれないし、2009年加入も十分古参なので、普通に活動していたら、このくらい取れたのかもしれない。惣田紗莉渚によると、高校の偏差値は低いらしい。

87位:日高優月 88点
2023年7月現在、劇場公演のキャッチフレーズは「野球とアイドル大好きな」である。加入前は、生徒手帳に高柳明音の写真を入れていたらしい。(高柳明音の卒業公演で語った。)

92位:上村亜柚香 87点
2023年7月現在、公式プロフィールの趣味に唯一「アイドル鑑賞」を挙げている。当時、中学2年生であった。

92位:山田樹奈 87点
特にアイドルに詳しいという印象はないが、SKEの活動でも、戦略的なところは見せていたように思う。

92位:内山命 87点
39位の斉藤真木子と同期の2期生で2009年加入の古参。特にアイドルに詳しいという印象はない。一方、同期の高柳明音は、内山命が2017年11月のユニット対抗戦で「STRAWBERRY PUNCH」として、表ではブリブリ、裏ではガラの悪いアイドルを演じて優勝した時、「同期だからわかるんですけど、命は本当は、ああいう(ブリブリ)のアイドルになりたかったんですよ」といった旨を述べていた。

センター試験:SKEからの主なランク漏れメンバー

・高柳明音
まあ、こういうのは、あまり得意ではないのかもしれない。

・須田亜香里
中学受験をして金城学院に入学した知性派で、完璧主義的なところもある、と語ったことがあるが、特にAKBグループに詳しいわけでもなさそうで、ベクトルが違ったのだろう。

・松村香織
AKB劇場の下のメイド喫茶で働いていて、ある程度AKBに詳しそうで、かつ、SKEの活動でも戦略家ぶりを発揮していたが、なぜか、ランクインはならなかった。

・高木由麻奈
2010年の加入前から渡辺麻友が好きで、大学で学んだ技術を活かし、映像作成などもする知性はであったが、ランクインはならなかった。

・惣田紗莉渚
AKB3期オーディションの最終選考まで残り、4、5期も受けたそうで、また、学芸大附属高出身の才媛であるが、ランクインはならなかった。ブランクが響いたか?

AKBグループセンター試験とフーコー

 フーコーの権力と知の関係性の観点からすれば、AKBグループによるメンバーへの知識偏重の試験は、単なる知識の評価ではなく、グループ内の権力関係を再生産する装置として機能していると言えます。試験という規律訓練の技術を通して、メンバーは特定の知識体系を内面化させられ、グループの規範や価値観に適合的な主体へと形成されていきます。

 また、言説分析の観点からは、試験の内容そのものが、AKBグループの自己言及的な言説空間を構成していると捉えられます。グループについての知識を問うことで、試験は、メンバーをグループの歴史や活動に関する特定の「真理」へと導きます。この自己言及的な言説は、グループのアイデンティティを強化し、メンバーの帰属意識を高める働きを持っているのです。

 さらに、主体の構築という視点から見れば、知識偏重の試験は、メンバーが「AKBグループのメンバー」としての主体性を形成する過程の一部だと言えるでしょう。試験で高得点を取り、グループについての知識を身につけることは、AKBグループの一員としての自己認識を獲得することを意味します。メンバーは、試験を通して、アイドルとしてのアイデンティティを構築し、ファンからの承認を得るための資質を身につけていくのです。

 ただし、フーコーの権力論からすれば、この過程は、メンバーが受動的に権力に従属することを意味するわけではありません。メンバーは、試験で問われる知識を批判的に吟味し、グループの規範や価値観に抵抗することもできるはずです。アイドル産業の中で、既存の枠組みを問い直し、オルタナティブなアイドル像を提示することは、フーコーが重視した「批判」の実践だと言えるでしょう。

 また、知識偏重の試験は、AKBグループという特定の商業的文脈の中で行われるものです。それは、アイドルという商品の価値を高め、ファンの消費欲求を刺激するための戦略の一環だと捉えることもできます。フーコーの視点からすれば、この試験は、メンバーを商品化し、ファンを消費者として構築する新自由主義的な権力の作用を体現しているのかもしれません。

 AKBグループがメンバーに対して行う知識偏重の試験は、グループ内の権力関係を再生産し、メンバーを特定の規範や価値観に適合させる規律訓練の装置として機能しています。それは、アイドルとしての主体性を形成し、ファンからの承認を獲得するための戦略でもあります。しかし、メンバーは、試験で問われる知識を批判的に吟味し、Alternative なアイドル像を提示することで、既存の権力関係に抵抗することもできるはずです。

 フーコーの思想は、知識偏重の試験の背後にある権力の作用を可視化し、アイドル産業における主体の構築と商品化の問題を浮き彫りにします。私たちは、AKBグループの試験を無批判に受け入れるのではなく、その言説的前提や権力関係を問い直していく必要があるのです。アイドルという存在のあり方を多様な観点から捉え直し、オルタナティブな可能性を探ることが、より豊かなアイドル文化の創造につながるのかもしれません。

AKBグループセンター試験とハイデガー

 AKBグループがメンバーに対して知識偏重の試験を行ったという事態を、ハイデガーの思想を手がかりに考察するとき、そこには現代社会の病理が浮かび上がってくるように思われます。

 ハイデガーにとって、私たちは「世界内存在」として、常にすでに事物や他者とのつながりの中で生きています。そうした関わりの総体が、彼のいう「世界」なのです。しかし、現代社会においては、こうした世界が急速に画一化され、均質化されつつあります。AKBグループの知識試験は、まさにその一つの症状だと言えるでしょう。

 ここで問題なのは、知識が自己目的化し、fetish(偶像)と化していることです。メンバーたちは、AKBグループについての豊富な知識を身につけることを強いられます。しかし、そうした知識は、彼女たちの存在にとって本当に意味のあるものなのでしょうか。むしろ、知識の獲得が、自分自身であることの代替物となってしまっているのではないでしょうか。

 ハイデガーは、こうした状況を「頽落」と呼びました。私たちは、世間に流され、既成の価値観に支配されることで、本来的な自己を見失ってしまうのです。AKBグループのメンバーたちもまた、このような頽落の只中にあると言えます。彼女たちは、グループの一員であることに安住し、みずからの存在を問うことを忘れてしまっているのかもしれません。

 では、こうした状況をどのように克服していけばよいのでしょうか。ハイデガーが示唆するのは、「本来的な自己」を取り戻すことです。それは、世間の価値観から距離を取り、自分自身の存在の意味を根源的に問い直すことを意味します。AKBグループのメンバーたちには、グループについての知識を詰め込むのではなく、自分にとってアイドル活動がどんな意味を持つのかを、真摯に考えることが求められるでしょう。

 もちろん、これは容易なことではありません。なぜなら、私たちは常に「死」の可能性に直面しているからです。ハイデガーは、この死の脅威こそが、本来的な自己を目覚めさせる契機となると述べました。アイドルという職業は、常に「いつ終わるかわからない」という不安を孕んでいます。メンバーたちは、この不安と向き合うことで、初めて自分自身の存在に目覚めることができるのかもしれません。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、本来的な自己の追求が、個人主義に陥ってはならないということです。ハイデガーは、私たちが「共同存在」として、他者とともに生きていることを強調しました。AKBグループのメンバーたちも、孤立した個人ではなく、互いに支え合う仲間として存在しているのです。彼女たちには、知識の競い合いではなく、本当の意味での絆を築くことが求められます。
そのためにも、AKBグループには、メンバーたちの主体性を尊重する姿勢が必要不可欠でしょう。画一的な知識の押し付けではなく、一人ひとりの個性や想いを大切にすることが大切です。そうすることで、メンバーたちは自分自身の存在の意味を見出し、グループの中で果たすべき役割を自覚していくことができるはずです。

 以上のように考えるなら、AKBグループの知識試験は、単なる表面的な問題ではなく、現代社会の根本的な病理を浮き彫りにするものだと言えます。私たちは、知識の偶像化という誘惑に絶えず晒されているのです。しかし、だからこそ、自分自身の存在を根源的に問い直し、本来的な生を取り戻すことが求められているのかもしれません。

 AKBグループのメンバーたちには、こうした問いかけを自分自身の課題として引き受けてほしいと思います。知識の追求ではなく、存在の意味を問うこと。個人の卓越ではなく、仲間との絆を大切にすること。それこそが、アイドルとしての本当の輝きを生み出す源泉となるはずです。

 グループ全体としても、メンバーたちの主体性を育むような環境作りが求められます。一人ひとりの声に耳を傾け、対話を重ねることで、真の意味での「グループ」が生まれるのです。そのとき、AKBグループは、単なる商業的な成功を超えて、メンバーたちの人生を豊かにする場となることができるでしょう。

 知識偏重の試験という出来事は、私たち一人ひとりに、existenz(実存)の意味を問いかけています。私たちは、この問いに真摯に向き合うことで、初めて本来的な自己を取り戻すことができるのです。AKBグループのメンバーたちにも、そしてグループを支えるファンにも、この問いが投げかけられているのかもしれません。

AKBグループセンター試験とデリダ

 「AKBグループが、AKBグループのメンバーに対し、AKBグループについての知識を問う、知識偏重の試験を行った」というテーマは、一見するとポップカルチャーの領域に属する些細な出来事のように見えますが、デリダ的な視点から考察すると、現代社会における権力と知の複雑な関係性を浮き彫りにする興味深い事例だと言えます。

 まず、「AKBグループ」という存在自体が、脱構築の対象となり得ます。AKBグループは、秋元康氏によって作り上げられたアイドルグループであり、その存在は、音楽業界という資本主義的な市場の中で構築されたものです。しかし、「AKBグループ」という名前が示すように、それは一つの統一体として表象されます。ここには、複数の個人を一つのブランドとして均質化する権力の作用が見て取れるでしょう。

 また、「AKBグループのメンバー」という主体も、脱構築の対象となります。メンバーは、オーディションという選抜プロセスを経て、「AKBグループ」の一員となります。しかし、それは個人の特性を抑圧し、グループの規範に従属することを要求するプロセスでもあります。「メンバー」という主体は、「AKBグループ」という権力構造の中で生み出された存在なのです。

 さらに、「AKBグループについての知識を問う、知識偏重の試験」という行為は、知をめぐる権力関係を象徴的に示しています。試験という制度は、知識を測定し、序列化する装置です。それは、特定の知識を価値あるものとして承認し、他の知識を排除する権力の作用でもあります。ここで問われている「AKBグループについての知識」とは、グループが自ら生み出し、正当化した知識に他なりません。つまり、この試験は、メンバーがグループの価値観を内面化しているかどうかを測定する、一種の服従の仕組みなのです。

 ここで、「知識偏重」という言葉にも注目したいと思います。この言葉は、知識を過度に重視する態度を批判的に指摘するものですが、同時に、知識以外の何かが軽視されていることを示唆しています。おそらく、それはメンバーの個性や創造性、批判的思考力といった、グループの価値観に収まりきらない要素でしょう。「知識偏重」の試験は、そうした要素を抑圧し、メンバーをグループの規範に従属させる装置として機能しているのです。

 ただし、だからと言って、この試験が全く意味を持たないわけではありません。デリダの「pharmakon」の概念が示すように、ある行為は同時に毒にも薬にもなり得るのです。「AKBグループについての知識」を共有することは、メンバー間の一体感を高め、グループの活動を円滑にする効果もあるでしょう。しかし、その知識が絶対化され、批判の対象とならなくなったとき、それは抑圧的な権力として作用し始めるのです。

 重要なのは、この両義性を認識し、「知識偏重の試験」という行為を脱構築することでしょう。メンバーは、与えられた知識を無批判に受け入れるのではなく、その知識が構築された過程を問い直す必要があります。そのとき、「AKBグループ」という存在もまた、絶対的な実体ではなく、絶えず更新され得る仮構として捉え直されるはずです。

 「AKBグループが、AKBグループのメンバーに対し、AKBグループについての知識を問う、知識偏重の試験を行った」というテーマは、ポップカルチャーの領域に留まらない、現代社会の権力構造を反映した出来事だと言えます。私たちは、知識と権力の複雑な関係性を常に意識し、与えられた枠組みを脱構築していく必要があるのです。そのとき、「AKBグループ」も「メンバー」も、固定された実体ではなく、絶えざる生成のプロセスとして捉え直されていくことになるでしょう。

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