【SKE48】小畑優奈が卒業発表:現在はゆっぺり?センター、エースとは?

小畑優奈卒業発表

 2019年2月12日、SKE48のチームKⅡ公演にて、小畑優奈(17)が3月末での卒業を発表した。

 小畑優奈は2015年3月加入の7期生。SKE48の21st、22ndシングル『意外にマンゴー』『無意識の色』ではセンターポジションを努めた。
 しかし、最近、たとえば、AKBシングル選抜への抜擢は、菅原茉椰が小畑優奈に取って代わり、多くの人が違和感を持っていただろう。

 センターを努めた中核メンバーでありながら若くしてSKEを去る小畑優奈を筆者は責めるつもりはない。運営が勝手に抜擢したのだし4年も在籍したのだ。十分奉公しただろう。小畑優奈にも辞める自由がある。

エース論:小畑優奈と松井珠理奈

 小畑優奈を抜擢した運営を責めるつもりもない。筆者は、2017年12月、『無意識の色』のMVが公開された時、松井珠理奈がセンターであること、という記事を書いた。筆者は、小畑優奈のアイドル性、センター適性などには触れず、松井珠理奈と野村克也氏の対談、野村克也氏の著書から引用し、

「中心なき組織は機能しない」

「彼ら(エース、四番打者)はチームの鑑となって組織を牽引し勝利へと導いていかなければならない」

「まず組織のために身を挺する覚悟がなければ組織そのものが成り立たない」

松井珠理奈がただ物理的に真ん中に立っていたのだと思っている人が多いようだと、SKEは急速に衰退するのではないだろうか。

松井珠理奈は「中心なき組織は機能しない」といった用法においても中心、センターだったのである。

と書いた。上から目線で恐縮だがSKE運営にこのような視点を求めるのは酷だろう。

 松井珠理奈は現実に10年間SKEを辞めなかった。AKB移籍、卒業、など、他の選択肢もあったはずだ。それどころかAKB兼任を蹴ってSKE専任に戻ってきた。松井珠理奈にはSKEという「組織のために身を挺する覚悟」があった。
 筆者は松井珠理奈はアイドルうんぬん以前に得難い稀有な人材であると思う。

年下の後輩、小畑優奈に抜かれた江籠裕奈

 小畑優奈や運営を責めるつもりはないが、費やした資源を代わりに江籠裕奈あたりに投入していたらどうだっただろうか、とは思う。小畑優奈お披露目のちょうど1ヶ月前、現在、松村香織卒業関係でリバイバル配信されている、2015年2月22日シャッフルラムネの飲み方公演で、チームE、研究生からの刺客を相手にセンターを務めた江籠裕奈は素晴らしかった。

 そう、BUBKA2018年12月号SKE48ver.の表紙は江籠裕奈と小畑優奈だった。グラビアは、2人で仲良さそうに収まっているショットは1つもなかった。ソロのショットが多いし、竹刀を構えて相対しているショットもあった。インタビューも別々だった。

小畑優奈の卒業を運営や他のメンバーに責任転嫁する方々へ

 小畑優奈の卒業を運営や他のメンバーに責任転嫁する一部の方々には一言申し上げたい。あなた方は、なんでも人のせいにして生きているのですか?世の中でうまくいっていますか?現在幸せですか?
世の中には違う考え方もあることを学んでみませんか?

小畑優奈プロフィール 現在は「ゆっぺり」?

 2001年12月18日、愛知県安城市の病院で生まれる。母親は16歳。実の父親に会ったことがない。3歳の時、母親は別の男性と結婚。(注)
 2015年3月、SKE48に7期生として加入。
 2015年7月開始の7期、ドラフト2期による研究生公演『PARTYが始まるよ』にて、センターポジションを務め、頭角を現す。
 2015年11月、チームKⅡに昇格。SKE内のユニット「ラブ・クレッシェンド」に選抜される。
 2015年12月、AKBの44thシングル『唇にBe My Baby』のカップリング曲のユニット「虫かご」に選抜される。他のメンバーは、後藤萌咲、福岡聖菜、込山榛香、坂口渚沙(AKB)、後藤楽々(SKE)、植村梓、薮下柊(NMB)、荒巻美咲、今村麻莉愛(HKT)、小熊倫実、高倉萌香(NGT)。
 2016年3月、SKEの19thシングル『チキンLINE』のカップリングのチームKⅡ曲『キスポジション』でセンターポジション。2期生の加藤るみにダンスをマネされる。ミュージックビデオのストーリー上の扱いは、ほぼ江籠裕奈と同等だったが、ダンスのポジションはセンターだった。
 2017年6月の総選挙では72位。
 2017年7月、SKEの21stシングル『意外にマンゴー』で初選抜、センターポジションに抜擢される。   2018年1月、22thシングルでもセンター。6月の総選挙では34位。
 2019年3月、SKE48を卒業。
 2023年1月から「ゆっぺり」名義で、YouTubeのパチンコ、パチスロ関係の動画に登場している。

(注)写真集『唇を閉じたら歯は浮かせて』より。

センターポジションと小畑優奈と運営について、まとめ

センターポジションとは

 アイドルグループとは、その構成メンバーたちが共に成長し、進化することでその魅力が最大限に引き出される場所である。その中で、特に注目されるポジションが「センター」である。このセンターというポジションは、グループ全体を象徴する存在であり、その人物が持つカリスマ性やパフォーマンス能力が、グループ全体のイメージを左右すると言っても過言ではない。

 センターは、そのグループの顔となり、ファンや視聴者にグループの魅力を伝える役割を果たす。しかし、それは同時に大きな責任も伴う。センターとなったメンバーは、自身のパフォーマンスだけでなく、グループ全体の活動を牽引し、グループの成功に大きく寄与しなければならない。それは、単に歌やダンスが上手いだけでなく、リーダーシップを発揮し、メンバー全体を一つにまとめ上げる能力が求められる。

運営のセンター選びの重要性

 そして、アイドルグループの運営側にとって、センター選びは非常に重要な決定である。適切なセンター選びによって、グループは新たな魅力を引き出し、ファンの間でさらなる人気を獲得することが可能となる。しかし、その逆もまた真で、不適切なセンター選びはグループの活動に影響を及ぼし、時にはファンを失う原因となり得る。

 このような視点から、アイドルグループ運営の難しさを考えてみると、センターというポジションは単なる名誉ある地位だけではなく、グループ全体の成功を左右する重要な要素であると言える。それは、個々のメンバーが持つ個性や才能、そしてそのメンバーが持つ「組織のために身を挺する覚悟」が、グループ全体の力となり、その魅力を最大限に引き出す要因となるのである。

 そのため、運営側は常にグループ全体を見渡し、適切な人材をセンターに据えるという重大な決定を下さなければならない。その選択は、一見すると個々のメンバーの才能や実力だけに基づいているように見えるかもしれない。しかし、その裏には、そのメンバーが持つチームへの貢献度や、彼女が持つ組織全体を牽引する力、そしてそのパフォーマンスがどれほど視聴者に訴えかけることができるか、といった多くの要素が考慮されているのである。

 これは、単に人気投票によってセンターを選ぶというよりも、より深い意味での「適性」を見極める作業である。そして、その選択には必ずしも一定の答えがあるわけではない。時と場合によって適切なセンターは変わるし、その判断は多大なるリスクを伴うものである。しかし、それこそが運営側の大切な役割であり、またそれによって新たな才能が発掘され、グループ全体が進化し続けるのである。

 センター選びに限らず、アイドルグループ運営におけるあらゆる決定は、単に表面的な結果だけでなく、その背後にある深い思考や視点を必要とする。それは、個々のメンバーの才能や特性を最大限に引き出し、グループ全体の魅力を増幅させるためのものであり、それがアイドルグループの成功への一歩となる。

 一つのアイドルグループが長期にわたって成功を収めるためには、その中心となるメンバーだけでなく、運営側も含めた全員が一体となって前進することが求められる。その中で、各メンバーが自身の役割を全うし、同時に他のメンバーや運営側と協力し合うことで、グループ全体としての力を高め、共に成長し続けることが可能となるのである。

 そして、そのような強固な組織力があるからこそ、アイドルグループは多くの困難に立ち向かい、
さまざまな変化に対応しながら、時代の変遷とともに進化し続けることができるのである。これは、アイドルグループが持つ一つの大きな魅力であり、それがファンからの支持を得て、長期間にわたって活動を続ける一因となるのである。

 アイドルグループの運営とは、そのような組織の中で最適なバランスを見つけ、一緒に進化していくことである。その中心となる「センター」は、その象徴的な存在であり、その役割を果たすことでグループ全体の進化を牽引する。

 しかし、それは同時にメンバー自身が組織と共に成長し、その中で自分自身の役割を見つけ、責任を全うすることを必要とする。それは、単なる表面的なパフォーマンスだけでなく、組織全体のために奉仕する精神、そして困難を乗り越えて前進する力が求められるのである。

 アイドルグループの運営に関わる全ての人々が、そのような視点を持つことで、グループ全体の成長と進化を支えることができる。そして、それが可能となるのは、各メンバーが自身の役割を理解し、それを全うすることによる。

 一つのアイドルグループが長期にわたって成功を収めるためには、そのような全体の視点と、個々のメンバーの持つ役割との間のバランスが重要である。その中で、運営側はメンバーの才能を最大限に引き出し、グループ全体の力を高める役割を果たす。

 それは、個々のメンバーだけでなく、グループ全体としての魅力を引き出すためのものであり、それがアイドルグループの成功への一歩となるのである。

小畑優奈の卒業と構造主義

 小畑優奈のSKE卒業は、アイドルグループ内部の権力構造の変容を示す出来事として解釈できる。アイドルグループにおいては、メンバー間のヒエラルキーが存在し、そのヒエラルキーは「センター」や「エース」といった記号によって表象される。小畑優奈が一時的にセンターポジションを務めたことは、松井珠理奈を頂点とする既存の権力構造に対する一時的な挑戦であったと見なすことができる。

 ここで注目すべきは、松井珠理奈が「組織のために身を挺する覚悟」を持っていたとされる点である。これは、アイドルグループという組織の維持・存続を最優先するという価値観を示すものであり、個人の欲望や野心よりも組織の論理が優先されるという構造を浮き彫りにしている。小畑優奈の卒業は、この組織の論理の前に個人が屈服せざるを得ないという構造の必然的な帰結なのである。

 また、江籠裕奈への資源投入の可能性は、アイドルグループ内部での権力闘争が、単なる個人間の競争ではなく、「資源」の配分をめぐる組織的な意思決定の結果であることを示唆している。アイドルは「資源」として組織に所有され、その配分は組織の論理に基づいて決定されるのである。

 以上のように、小畑優奈の卒業は、アイドルグループ内部の権力構造とその維持メカニズムを如実に示す出来事として解釈できる。個人の欲望や野心は、組織の論理の前に屈服せざるを得ない。そしてこの構造は、「センター」や「エース」といった記号によって表象され、「資源」の配分という形で組織的に維持されているのである。私たちはアイドルを語ることで、無意識のうちにこの構造を再生産してしまっているのかもしれない。

小畑優奈の卒業とハイデガー

 小畑優奈のSKE卒業は、現存在としての彼女の本来的な在り方の選択として解釈することができよう。

 現存在は、世界の中に「投げ込まれ」、その中で自己の存在可能性に直面する。小畑優奈もまた、アイドルグループSKE48という世界の中で、自らの存在の意味を問い、本来的な在り方を模索してきたのだ。小畑優奈がセンターポジションを務めたことは、その過程で見出された一つの可能性であった。

 しかしながら、現存在は常に未来に向かって自らを企投しており、その可能性は固定されたものではない。小畑優奈は、SKE48という世界の中で新たな可能性を見出し、卒業という選択肢を取ることで、自らの存在の本来性を追求しようとしているのだ。

 ハイデガーは、現存在が本来的な在り方を取り戻すためには、「死への先駆的決意性」が必要だと説いた。それは、自らの有限性を直視し、そこから逆照的に自らの存在の意味を見出すことを意味する。小畑優奈の卒業は、アイドルという存在の有限性を認識し、その中で自らの存在の真理を追求する決意の表れと言えるだろう。

 一方で、松井珠理奈がSKE48に留まり続けていることは、「組織のために身を挺する覚悟」として描かれている。これは、ハイデガーが批判した「世人性(das Man)」の在り方に近いものがある。世人性とは、現存在が日常的に没入している世界の平均的な在り方のことであり、そこでは個人の本来的な在り方は覆い隠されてしまう。松井珠理奈の選択は、アイドルという世界の規範に従属し、自らの存在の本来性を追求することを躊躇している態度の表れかもしれない。

 しかし、ハイデガーの思想においては、本来性と非本来性は相即不離の関係にある。現存在は非本来性の中で本来性を見出し、本来性の中で非本来性を引き受けていくのだ。松井珠理奈の選択もまた、そうした本来性と非本来性の弁証法的な運動の一つの現れなのかもしれない。

 結論として、小畑優奈のSKE卒業は、現存在としての彼女が自らの存在の有限性を認識し、本来的な在り方を追求する決意の表れとして理解することができる。それは、アイドルという世界の中で自らの存在の意味を問い続ける彼女の姿勢の証左なのだ。

小畑優奈の卒業とデリダ

 小畑優奈のSKE卒業は一見、アイドルグループにおける個人の選択や意思決定の問題として捉えられがちだ。しかし、この出来事の背後には、「卒業」という概念そのものの脱構築を促す様々な力学が潜んでいる。

 まず、「卒業」という言葉が示唆するのは、ある組織や共同体からの離脱であり、それによって引き起こされる不在や欠如だ。しかし、果たして個人の離脱によって、その組織や共同体の同一性は損なわれるのだろうか。むしろ、不在や欠如があってこそ、組織や共同体はその存在意義を問い直し、新たな形で自己を確立していくのではないか。小畑優奈の卒業は、SKEという共同体にとって、自らの在り方を問い直す契機となり得るのだ。

 また、小畑優奈と松井珠理奈の対比は、「覚悟」や「組織のために身を挺する」といった言葉に象徴される、アイドルに対する規範的な期待を浮き彫りにしている。アイドルは組織に忠実であるべきで、自己犠牲的であるべきだという価値観が、ここには潜んでいる。しかし、そのような規範的な期待自体を脱構築する必要があるのではないか。アイドルもまた、固有の欲望や意思を持った個人であり、組織との関係性を絶えず交渉し、再構築していく存在なのだ。小畑優奈の卒業は、アイドルに対する固定化された規範を問い直す契機となるだろう。

 さらに、「次期エース候補」という表現は、アイドルグループ内での序列化や差異化の問題を浮かび上がらせる。エースとは何か、誰がエースになるのか、そしてエースはどのように決定されるのか。これらの問いは、アイドルグループというシステムの権力構造を可視化する。エースという位置付けは、単なる個人の資質や能力の問題ではなく、様々な社会的、経済的、文化的な要因が絡み合った複雑な過程を経て生み出されるのだ。小畑優奈の卒業は、エースをめぐる言説の恣意性や不安定性を露呈させる出来事と言えるだろう。

 以上のように、小畑優奈の卒業は、アイドルグループにおける個人と組織の関係性、アイドルに対する規範的な期待、エースという位置付けをめぐる権力構造など、様々な問題系を孕んでいる。これらの問題系を脱構築的に読み解くことで、アイドルカルチャーの根源的な問い直しが可能になる。卒業という出来事が持つ不在の力を肯定的に捉え返し、アイドルと組織の関係性を絶えず更新していくこと、そしてアイドルに対する固定化された規範や価値観を解体していくこと。そのような営みを通して、アイドルカルチャーはその可能性を拓いていくのだ。

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