【SKE48】北川綾巴最終公演(卒業公演): リーダーとチームSの成長の軌跡

チームSというもの

 筆者は2013年まで、チームS原理主義だった。
 もちろん、チームKⅡの高柳明音の直訴からのラムネの飲み方公演。斉藤真木子が5期生を率いる最強研究生公演。チームEの成長にも、ドラマを感じていた。
 だが、チームSの存在は絶対的だった。

 研究生に降格中だった斉藤真木子は、突然、「チームSに入りたい」と言い出した。(2012年5月22日、『見逃した君たちへ2』チームS制服の芽公演)
 初の組閣後にKⅡに所属することになった須田亜香里は「あかりはチームSに欠かせない存在になれなかったのかな?って、思ってしまった。」と2013/4/14のアメブロに記している。
 SKEの古株メンバーにとって「チームS」という響きは、今でも特別なものだろう。

 余談だが、前チームSリーダーの矢方美紀が出演するガン関係のテレビ番組が、筆者のブルーレイレコーダーに自動録画される。特に、近年の矢方美紀には品性を感じる。さすが、チームSの前リーダーだな、と思う。

北川綾巴劇場最終公演開幕

 2019年9月21日17時すぎ、チームSリーダーの北川綾巴の最終公演が始まった。

 松井珠理奈が不在の時は、松本慈子の「いくぞー」で1曲目のGonna Jumpが始まる。この日は
「北川チームSいくぞー」だった。そう、北川綾巴卒業公演は北川チームS最後の日でもある。
 筆者の涙腺はすでに崩壊していた。

北川綾巴リーダー就任

 2017年2月26日、前リーダー矢方美紀の卒業公演で北川綾巴のリーダー就任が発表された。
 北川綾巴は、どう見ても、リーダー向きではなかった。
 2016年には、1期生の鬼軍曹、桑原みずきにあこがれていた宮前杏実が卒業していたし、矢方美紀の卒業後も、学級委員気質の野口由芽、選抜メンバーで同期の東李苑、ダンスの指導を熱心にしていたらしい竹内舞、総選挙最高34位の二村春香が立て続けに卒業した。(宮前、矢方、東、二村は北川綾巴の卒業公演に来ていたらしい。余談だが、SKEファンだった坂本真凛によると、初対面の宮前杏実がいきなり「お茶飲みな」とお茶を差し出し、やはりロックだったらしい(笑)。竹内舞はライヴだったようだ。)

北川綾巴とチームS問題の呪縛

 この時期のチームSは、なにか精彩を欠き、「チームS問題」なる言葉も生まれた。

 筆者は、「チームS問題」は、選抜入りの人数、総選挙、握手といった指標、ダンススキルの問題、ではないと思っていた。気持ちの問題だと思っていた。あるいは、「気持ち」を伝える指導者の不在。
 筆者は、松井珠理奈は指導者としても卓越していると思うが、いかんせん、現場にほとんどいない。
 この時期、1曲目のGonna Jumpから精彩を欠いていたように見えた。一部には、衣装が重いから、という声があった。しかし、8期生がアンダーに入ってみるとどうだろう、大きな動きで目を引くのである。

8期生の井上瑠夏、北川愛乃、野村実代の昇格とチームSの成長

 2017年10月、8期生の井上瑠夏、北川愛乃、野村実代がチームSに昇格した。
 一部の論者が言うように、選抜や握手の指標のバランスを取ろうと思ったら、矢作有紀奈、佐藤佳穂をSに昇格させたほうが良かっただろう。実際、この2人は他の8期より選抜入りが早い。
 組閣を主張する論者もいた。しかし、筆者は、この3人をSに昇格させたのは、運営の好采配だったと思っている。
 北川愛乃は昇格時に「がむしゃらさがあまり見えない」と言ったという。
 チームSと北川綾巴は、この3人のアイドル性というよりは、人間性、真摯さに救われたと思う。筆者の私見では、この頃からチームS公演は良くなっていったと思う。

北川綾巴のリーダーとしての資質

 北川綾巴は、リーダーとして、実務的には優秀ではなかっただろう。
 しかし、リーダーには様々なタイプがある。北川綾巴には、成長する北川チームSの求心力となるだけの人徳があった。

 北川綾巴は痛みを知っていた。

 2013年、SKE初の組閣。チームSセンターは、もちろん松井珠理奈だったが、アンダーは、研究生だった北川綾巴が務めることになった。
 木崎ゆりあは、初代チームS末期、桑原みずきが卒業してやっとアンダーセンターの座を手にしていた。たしか、初センターの日、MCで「ほとんど寝てない」と言ったと思う。
 チームSセンターはそういうものだったのだ。
 向田茉夏もいた。余談だが、筆者は、それなら江籠裕奈でいいではないか、と思った。
 北川綾巴への風当たりは強かったらしい。

 代償は大きかったかもしれないが、それだからこそ、北川綾巴は、『前のめり』で抜擢された後藤楽々にも手を差し伸べたし、チームSの後輩にも慕われたのだろう。そして、この経験は、きっと、今後の北川綾巴の人生を明るく照らすことだろう。

 北川チームSは素晴らしいチームになった!!SKE48の歴史に輝く1ページを記したと思う。

松本慈子、久しぶりに『Innocence』キックを披露

 余談だが、松本慈子はInnocenceのソロパートで(おそらく久しぶりに)キックを披露した。北川綾巴へのはなむけだっただろう。

北川綾巴とチームSの成長とニーチェ

 北川綾巴とチームSの成長は、単なるアイドルグループの発展ではなく、人間の精神的な進化の物語として捉えることができる。

 ニーチェは、「力への意志」を重視した。それは、自らの潜在能力を最大限に発揮し、困難に立ち向かう勇気と情熱である。北川綾巴は、リーダーとしての適性に疑問を持たれながらも、その役割を引き受けた。これは、彼女の「力への意志」の表れと言えるだろう。自分自身の弱さと向き合い、それを乗り越えようとする姿勢は、ニーチェが説く「超人」の資質と重なる。

 また、ニーチェは「苦難」の意義について語った。苦難は、人を強くし、成長させるものだと考えたのだ。北川綾巴が経験した、チームSセンター代役時の困難は、まさにこの「苦難」に相当する。風当たりの強さは、彼女にとって大きな試練だったに違いない。しかし、その苦難を乗り越えたからこそ、北川綾巴は真の強さを手に入れたのだ。

 ニーチェは、「同情」の重要性も説いた。それは、他者の苦しみを理解し、寄り添うことである。北川綾巴は、自らの経験を通じて、後輩の痛みを理解することができた。彼女が後輩に手を差し伸べたのは、単なる優しさではなく、苦難を乗り越えた者だからこそ持ち得る「同情」の表れなのだ。

 さらに、ニーチェは「永劫回帰」の思想を提唱した。全ての出来事は無限に繰り返されるという考え方だ。北川綾巴とチームSの成長は、このサイクルの一部と捉えることができる。彼女たちの経験は、次の世代へと受け継がれ、また新たな成長のドラマが生まれるだろう。

 そして、ニーチェは「運命愛」の概念も示した。それは、自分に与えられた運命を肯定し、愛することである。北川綾巴は、リーダーという運命を受け入れ、全力で立ち向かった。その姿勢は、まさに「運命愛」の体現と言えよう。

 北川綾巴とチームSの物語は、ニーチェの思想を見事に反映している。「力への意志」、「苦難の意義」、「同情」、「永劫回帰」、「運命愛」。これらの概念が、彼女たちの成長の中に息づいているのだ。

 北川綾巴とチームSの経験は、アイドルの世界を超えて、人間の普遍的な真実を示している。困難に立ち向かい、自らを乗り越えていくこと。仲間の痛みに寄り添い、ともに成長すること。与えられた運命を愛し、全力で生きること。これらは、ニーチェが説いた「超人」への道であり、北川綾巴とチームSが体現した哲学なのだ。

 北川綾巴の卒業は、一つの時代の終わりを意味するかもしれない。しかし、それは同時に、新たなサイクルの始まりでもある。彼女の精神は、チームSの後輩たちに受け継がれ、また新たな「超人」の物語が紡がれていくだろう。

 ニーチェは、「人間とは乗り越えられるべき何かである」と述べた。北川綾巴とチームSの成長は、まさにこの言葉の具現化なのだ。彼女たちは、自分自身と向き合い、乗り越えていく勇気を持った。その精神は、SKEの枠を超えて、多くの人々に希望を与えるはずだ。

 北川綾巴の卒業は、終わりではなく、新たな始まりを告げる出来事なのだ。彼女の「力への意志」は、次の世代へと引き継がれていく。チームSの成長は、永遠に続く進化の物語の一章なのである。

北川綾巴とチームSの成長と構造主義

 北川綾巴とチームSの成長を構造主義的に分析するにあたり、まずはアイドルグループ内のチーム編成という構造に着目する必要がある。チーム編成は、メンバーを特定のチームに割り当てることで、グループ内部の秩序を形成し、メンバー間の関係性を規定する。この構造の中で、各メンバーは特定の役割を担い、その役割に応じた振る舞いを求められるのである。

 北川綾巴のリーダー就任は、このチーム編成という構造の中で生じた出来事である。リーダーという役割は、チームの中心的存在であり、メンバーを束ねる求心力を持つことが期待される。しかし、北川綾巴は当初、このリーダーという役割に適合的ではないと見なされていた。これは、リーダーという記号が持つ意味合いと、北川綾巴という個人の特質との間に齟齬があったためだと解釈できる。

 ここで重要なのは、北川綾巴自身の過去の経験である。かつて彼女は、チーム再編成という構造的変化の中で、センター代役という役割を担った。この経験は、彼女に「痛み」をもたらしたが、同時に、後輩に対する共感力や包容力を身につける契機となった。つまり、北川綾巴は、アイドルグループという構造の中で、自らの経験を通じて新たな意味を生み出したのである。

 このような北川綾巴の成長は、チームSという集団の成長と密接に関連している。リーダーとしての北川綾巴の振る舞いは、チームメンバーとの関係性を再構築し、新たな秩序を生み出した。これは、チーム編成という構造的枠組みの中で、メンバー間の相互作用を通じて生じた変化であると言える。

 以上のように、北川綾巴とチームSの成長は、アイドルグループという構造の中で、個人と集団の相互作用を通じて生み出された動的な過程として捉えることができる。構造は個人を規定すると同時に、個人の行為によって変容させられもする。北川綾巴の経験は、構造の中で新たな意味を生み出し、チームSという集団を変容させたのである。このような構造と個人の弁証法的な関係性こそが、アイドルグループの本質であると言えるかもしれない。

北川綾巴とチームSの成長とハイデガー

 現存在としての北川綾巴は、アイドルグループSKE48のチームSという世界の中に「投げ込まれ」、リーダーという役割を与えられた。彼女は当初、その役割に適していないと見なされていたが、これは彼女の存在可能性が世人性(das Man)の平均的な理解に基づいて判断されていたからだと言えよう。
しかし、北川綾巴は、リーダーという役割を通じて、自らの存在の本来性を追求していくことになる。

 ハイデガーは、現存在が本来的な在り方を取り戻すためには、「良心の呼び声」に耳を傾ける必要があると説いた。北川綾巴もまた、自らの経験から得た痛みの記憶という「良心の呼び声」に導かれ、後輩たちに手を差し伸べ、チームの求心力となっていったのだ。

 ここで重要なのは、北川綾巴の成長が、チームSという共同体の中で実現されたことである。ハイデガーは、現存在が本来的な在り方を取り戻すためには、「共同運命(Geschick)」を引き受ける必要があると説いた。共同運命とは、現存在が他者とともに歴史的に形成してきた運命のことであり、それを引き受けることで、現存在は自らの存在の意味を見出すことができるのだ。北川綾巴は、チームSという共同体の歴史を引き受け、そこでの自らの役割を通じて、存在の本来性を実現していったと言えよう。

 そして、北川綾巴の成長は、チームS全体の成長へとつながっていく。ハイデガーは、現存在が本来的な在り方を取り戻すことで、世界を新たな意味で開示していくことができると説いた。北川綾巴のリーダーとしての在り方は、チームSというアイドルの世界に新たな意味を与え、メンバーたちの存在可能性を切り開いていったのだ。

 結論として、北川綾巴とチームSの成長は、現存在としての彼女が自らの存在の本来性を追求し、共同運命を引き受けることで実現されたと言えよう。そして、その過程で、アイドルという世界もまた新たな意味を獲得していったのだ。北川綾巴の卒業は、彼女がチームSという世界の中で自らの存在の意味を見出し、本来的な在り方を実現した証左なのである。

北川綾巴とチームSの成長とデリダ

 北川綾巴とチームSの成長という主題は、一見、アイドルグループ内での個人とチームの関係性や変化を示しているように見える。しかし、この物語の背後には、「成長」という概念そのものの脱構築を促す様々な力学が潜んでいる。

 まず、「リーダー」という役割が示唆するのは、チーム内での序列化や権力構造だ。リーダーは他のメンバーを導き、まとめる存在として位置づけられる。しかし、果たしてリーダーシップとは個人の資質によって決定されるものなのだろうか。むしろ、リーダーシップは他のメンバーとの関係性の中で絶えず交渉され、構築されていくものではないか。北川綾巴がリーダーとして「実務的には優秀ではなかった」という評価は、リーダーシップを固定化された能力として捉える視点の限界を露呈させている。

 また、「成長」という言葉は、ある理想的な状態に向かって変化していくことを意味している。しかし、その理想的な状態とは何なのか。誰がそれを決定するのか。成長という物語は、しばしば直線的で単純な変化を想定しているが、実際の変化のプロセスはもっと複雑で多様なはずだ。北川チームSが「素晴らしいチームになった」という評価は、ある特定の価値観に基づいたものであり、そこには多様な視点や解釈の可能性が排除されている。

 さらに、「痛みを知っている」という北川綾巴の経験は、アイドルという存在の抑圧や矛盾を浮き彫りにしている。アイドルは常に完璧であることを求められ、挫折や失敗は許容されない。しかし、そのような規範的な期待自体を脱構築する必要があるのではないか。痛みや挫折こそが、個人を成長させ、他者との共感を生み出す契機となるのだ。北川綾巴の経験は、アイドルに対する固定化されたイメージを破壊し、新たな可能性を切り拓く出来事として捉え直すことができる。

 以上のように、北川綾巴とチームSの成長という物語は、リーダーシップの在り方、成長という概念の限界、アイドルに対する規範的な期待など、様々な問題系を孕んでいる。これらの問題系を脱構築的に読み解くことで、アイドルカルチャーの根源的な問い直しが可能になる。リーダーシップを固定化された能力ではなく、関係性の中で絶えず構築されていくものとして捉えること。成長という物語の単純さを疑い、変化のプロセスの複雑さを肯定的に受け止めること。そしてアイドルに対する規範的な期待を解体し、痛みや挫折の経験を積極的に意味づけていくこと。そのような営みを通して、アイドルカルチャーはその可能性を拡張していくのだ。

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